● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 奥多摩にキャンプに行った。うちからはぼくと娘(小学1年生)。一緒に行った家族は、ぼくの友人と子ども2人(小4、小1)。おやじ2人に子ども3人という、なかなかヘンな組み合わせだ。 どちらもクルマを持ってないので、JR青梅線にゴトゴト揺られ、終点の奥多摩駅から歩いて5分ほどの氷川キャンプ場というところに集合。キャンプ道具を詰めたリュックはデカくて重かったが、背負えないものではなかった。 それでまあ、現地では、チビどもは飽きずに川に石投げをして、大人は釣りをしたりして、夜はたき火でビール。子どもは焼きそばとジュースとお菓子と焼き芋。小4の男の子は料理クラブだというので、飯づくりを手伝わせた。 翌朝はまたチビどもは石投げ、大人はたまたま催されたカヌー競技会を見物。駅前の食堂で昼飯を食いビールをひっかけて、午後イチ発の登り電車で帰ってきた。 電車の乗り換えは面倒だけど、渋滞とかを気にすることもなく、電車内でも文庫本を読んだりして、全体にのんびりしたキャンプだった。 こんな感じの子連れキャンプをまたやりたいのだけど、ご一緒する方はいませんか? クルマ利用でもいいですよ。うちも乗せてもらおうかな。 (2002年6月・79号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 6月のはじめ、富士五湖の西湖にキャンプに行った。テーマは「遊び」。カヌー持参のやつもいたし、ぼくは初めてバスフィッシングに挑戦した。 釣具屋の店員さんのアドバイスで買ったワーム(虫のような形をしたゴム製の擬似餌(ぎじえ))を岸からリール竿でぶん投げては巻き戻す。1時間くらいたった頃、釣れた。25センチくらいとやや小ぶりのブラックバス。型がイマイチのせいか、ひきもたいしたことなく、期待したほどおもしろくはない。 ぼくは実はバスがきらいだ。こいつが増えすぎたおかげで、日本に元からいる魚がどんどん減っているという。フナやコイを釣って育ったぼくとしては、外来の乱暴な魚に食われてフナやコイがいなくなるのは許せない。 それと、バスフィッシャーはマナーが悪い。勝手に放流してバスの勢力を広げるし、釣り糸を平気で捨てている(他の釣り人もその傾向があって困るけど)。 もうひとつヤなのは、ワームが根がかりすることだ。ぼくも3つばかり根がかりして糸を切ってしまったが、てことは、西湖の湖底には無数のワームが引っかかっているはずだ。ゴム製だからいつになっても消えることなく。 アンチバス派のぼくとしては、キャッチアンドリリース(釣れたら放す)なんてしゃらくさい、食って少しでもバスを減らすつもりでいた。それでビクにいれておいたら、小学生の男の子が2人やってきて、「友だちに自慢したいからちょうだい」という。少年の夢にはかなわない、気前よくくれてやった。 ところが困ったことに、一緒にキャンプに行った連中は、誰一人としてぼくの釣果を見ていない。おかげで「釣れたというのはウソじゃないか」との疑惑をもたれている。ますますバスがきらいになった。 (1998年6月・56号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● この秋に仕事場を構えることになったので、必要に迫られてファクスを買った。 B4の用紙が使えて留守番機能がある安いものをと探していたら、たまたま中古屋で思い通りのものが見つかった。都合よくコードレスの子機もついていて、それで2万円ほどだった。 そいつを仕事場となるアパートに持ち込み、何日かしてから、どうも留守設定ボタンのランプがおかしいことに気がついた。マニュアルで調べてみると、留守録が何件か入っていることがわかった。どうやら以前の持ち主宛のものらしい。 そこで興味津々再生してみた。そうしたら……。 「WKさん。××ファイナンスと申します。○月分の入金が遅れています。大至急ご入金ください。(銀行口座)まで電信扱いで、午前中に必ずお願いします」 「WKさん宛に連絡があります。電話番号△△△△まで大至急ご連絡ください。協定で決めたことは守ってください」 ……そんな感じのメッセージが、都合8件入っていた。録音はすべて同じ日。事務的に話す人もいたが、中には脅し口調の人もいた。このファクスが中古屋で安売りされていた理由もわかるような気がした。 言っている金額はそう大きくないから、WKさんはカード関係の借金に追われていたようだ。話では聞いていたが、世の中にはカード地獄におちいる人が本当にいるんだとしみじみと思った。 そして、WKさんがヤー様に絞められることなく、また苦しみから逃れようと首をくくることもなく、今もどこかで生きていることを心から願う。 (1998年12月・59号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 幼児教育について考えたこと。 〈その1〉仕事場で不要になった校正紙をみやげに持ち帰ると大喜びする娘の泉(4歳になったばかり)。ハサミでジョギジョギ切ってヘンなものをつくったり、絵を描くのが大好きだ。 それならと、細君が泉を連れて近所の絵画工作教室を見学しに行った。その日は絵の具で花を描くとかで、試しにと絵筆を持たされた泉はおもむろに紙に描こうとする。と、先生は、「花はこのへんに描いたほうがいい」とか、色はどうのと意見して、やがて「背景にも色を塗ったほうがいいね」と自分の筆で色をつけたそうだ。 教室には、「植木鉢は緑色だ」と言って折れない子どももいたが、先生は「茶色だよね」と結論づけて話題を逸らしたという。 技術を教えるのはもちろん大事だ。でも大人の感性を押しつけるのは本末転倒ではないか。 〈その2〉跳び箱やマットをつかって子どもを遊ばせるサークルに初めて行ったときのこと。見知らぬ人がたくさんいるところが嫌いな泉は、いつものとおり泣いてしまった。ならば無理に行かせることはないとぼくは意見したが、細君によると、「でも泉は自分もやりたそうだった」。その後何度か通ううちに慣れてきて、最近は顔見知りの友達と一緒にはしゃいで遊ぶようになったとか。 子どもの反応から考え方をくみ取るのはまったく難しい。大人の判断基準は通用しないもんだ。 〈その3〉先日泉と公営のプールにいった。ビニールでない大きなプール(子ども用)に初めて浸かった泉は、周囲のちびっ子たちがビート板を手にばしゃばしゃやっているのをじっと見ていたが、けっきょくそこまでしないで、水の中を歩くにとどまった。 こういうときに、ちょっときっかけを与えてもう一歩踏み出させることができれば、彼女の世界もグンと広がるんだろうな。 (1999年8月・63号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● みなさんご存じの某有名テーマパークに、人さらいがいるという噂を耳にした。 ある家族がそこに遊びに行った。小学生の男の子が1人でトイレにいったところ、なかなか戻ってこない。おかしく思った母親がスタッフにそう伝えたところ、即座にすべてのゲートが閉鎖され、人の出入りが止められた。しばらくして男の子は発見された。彼はなぜか、それまでとは違う服を着ていた−−というものだ。 即座にゲートが閉鎖されたのは、同様な事件がしばしば発生するため対処に慣れているから。また、少年が違う服を着ていたのは、服が違えば親であっても見つけにくいことから、犯人が巧妙な手口で着替えさせたため。臓器売買のために子どもを誘拐するんじゃないか、とのことだ。 これは細君が知り合いから聞いた話で、その知り合いの友人の身に起こった事件だそうだ。真偽のほどはわからないが、子どもが多い場所だけにさもありなんという感じだ。夢を見る場所で悪夢に遭遇することがないように、心に留めておくといいかもしれない。 (2000年2月・66号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● この春、娘が幼稚園に入園した。それで彼女にいくつかの変化が現れた。 例えば、入園以前は、散歩など外を歩くときにすぐに手をつなごうとしたけれど、最近は手をつながないで歩くことも多くなった。 また、育児サークルで人前に出るような遊びをするとき、以前は恥ずかしがって(かどうかわからないが)前に出なかったのに、この間は自然に出ていったと、細君が話していた。 ぼくら親がいなくても、友だちの家でしばらく遊んだりするようになったのもこのごろのことだ。 どこに行くにも親べったりだった生活から、親を離れて幼稚園で過ごすようになったのが、彼女の心に影響を与えたのだろう。 こうしてだんだんと親離れしていくのかな、と思いつつ、でもまだあまり実感は持っていない父親なのでした。 (2000年4月・67号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ユニクロに短パンを買いに行き試着した。これまでどおり、Mサイズ。なぜかどれもでかい。デザインのせいか? ためしにSサイズを履いたら、ちょうどよかった。これはショックだった。 何年か前、JISの規格が変わり、SMLのそれぞれのサイズが一回り大きくなったのは知っていた。トランクスはすでに新Sサイズにしていたが、シャツなどはMかLで頑張っていた。その努力も、もはやこれまでか。 身長160センチ(公称)、体重57キロは、少し前までは日本人の標準(ミディアム)サイズだったのに、もはやスモール・サイズになってしまった。トホホ。 (2000年8月・69号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 5歳になった泉(娘)がひらがなを書くようになった。書き順も形もめちゃくちゃだけど、見慣れるとけっこう読めるものだ。 このところの流行は、人物の絵を描き、吹き出しのなかに言葉を入れるというものだ。チビながら吹き出しの意味がわかっているのがおかしい。 この間は、2人の女の子の絵を描いて、それぞれに吹き出しと言葉が書いてあった。片方が「あなたキレイね」と言い、もう片方あ「あらあぎらと」と言っている。 「泉、これ、なんて書いてあるんだ?」 「だから、あ・ぎ・ら・と」 ええっ!! その返事に、口あんぐり。 泉のいう「ありがとう」だったのだ。 まえから彼女の「ありがとう」という発音がちとへんだと思っていたが、「ありがとう」ではなく「あぎらと」と口にしていたのか。 ということは、ぼくたち親や他の大人が「ありがとう」と言うのも、「あぎらと」と聞いていたのかもしれない。井上陽水奥田民生の「ありがとう」という歌も、彼女のヒヤリングでは「あ〜ぎらとぉ」だったのか。歌詞カードのひらがなのタイトルを目にしているはずなのに、あんた、意味はわかっていなかったのかよ。 ぼくらの発音に問題があるのか。彼女の耳に問題があるのか。はたまた子どもって、こんな単純な思いこみをするものなのか。 このように誤って覚えていて、周囲がそれに気づいていない言葉が他にもあるのではないか−−と思うと、途方に暮れてしまうのだった。 (2000年10月・70号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● どうでもいいことだけど、近頃気になってしかたない文字や言葉について。 ●ホームページで「情報を発信」するというが、どうも納得できない。ホームページは、どこからでも閲覧できるように公開されているだけで、読み手の元に向かっていくように「発信」されてはいないはず。どちらかというと、電子メールのほうが「発信」のイメージに近いように思う。 ●「弱肉強食の市場経済」って、へんだ。生物社会の弱肉強食は、強い者もいずれは死んで、その身を弱い者の餌として提供する。そうして循環しているからこそ、弱い者=微生物や小動物も生きていける。でも市場経済では、強い者はまず朽ちることはないし、朽ちたとしても弱い者に利益をもたらすわけではない(別の強い者が横取りする)。いまの日本の市場経済では、弱い者が残っていくのは至難の業だ。 ●車の側面に記す社名。今でも「右から左」へ読ませるものがある。つまり車体右側面に前方から後方へと書いてあるのだが、一文字ずつ目で追うわけじゃないのだから、左読みにしたほうがすっきりするのでは。先日は〈門のとら〉というのが目に飛び込んできた。「前門の虎、後門の狼」のことかと一瞬目を疑ったが、右から読んだら〈とらの門〉だった。パッと見て読めないようじゃ、社名を記す意味がないぞ。 (2000年12月・71号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 今年のコメは鳥害がひどい。うちの庭のコメのことだ。 昨年秋、とあるイベントで稲穂を拾った。それをこの春、水につけて発芽させ、バケツにザブンとつけ込んだ植木鉢に直播きした。以来、ほとんど何もしてないのにすくすくと成長。8月には頭を垂れる稲穂かな、となった。 そんなある日、穂がまばらになっているのに気がついた。細君に聞くと「スズメが来てたよ」。なるほどバケツの周囲についばんだ跡のカラがたくさん落ちていた。我が家の無農薬放任栽培のコメ(たぶんコシヒカリ)は、スズメたちの餌になっていたのだ。 せっかく稔ってきたものを、スズメに食わせてやるのもしゃくにさわる。それで試しにアルミホイル片を棒にぶら下げてみた。おかげで来襲頻度は減ったようだが、ときどき1羽2羽やってきてはついばんでいる。 この夏の水不足も、8月の涼しさも乗り越えて稔ったコメなのに、これじゃ人の口に入るぶんがなくなってしまう。ああ……。 (2001年8月・75号) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 毎週日曜日の朝に放映されている「百獣戦隊ガオレンジャー」。ゴレンジャーの類のヒーロー物で、何シリーズぶりにか、大人気なのだそうだ。 幼稚園年長さんの娘も、早起きして(といっても7時半だが)観ているので、ぼくも何となく一緒に観ている。 しかしまた、こいつらが弱いんだなぁ。 5人の戦士(最近もう1人加わったが、本当に困ったときだけ現れる)は殴る蹴るで戦うのだが、相手が強すぎて歯が立たないことがよくある。するとパワーアニマルとかいう、メカの動物たちを呼び寄せて戦わせる。アニマルが傷ついたりすると、とたんに何もできなくなる。 そんなときにどうするかというと、「くそう、どうすりゃいいんだ」と、こぶしを握って途方に暮れる。するとやがて、呼んでもいないのに新しい強いアニマルがやってきたり、奇跡が起こって形勢逆転したりするのだ。 おいおい、地球を守る正義のヒーローがそんな他力本願でいいんかい。チームワークをもっと磨くとか、武器を開発するとか、もっと研鑽と努力を積んだらどうだ。 そんな弱さが人間味があっていいとの意見もあるが、それにしても、もうちょっと自分たちの力でどうにかせんかい。実社会はもっときびしいんだぞ。 (2001年10月・76号) |
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