アフガニスタン攻撃に反対する



 はじめに明記します。今回のアメリカでの同時多発テロも、それ以外のテロ行為も含めて、一切のテロを否定します。どのような政治背景があろうとも、目的達成のために無関係の人々を暴力に巻き込むのは許せません。テロ行為の実行犯と首謀者は、適正な手続きにのっとって相応の処罰を受けなければなりません。
 その前提に立って、ぼくは今回の英米軍によるアフガニスタン攻撃に反対します。
 理由は、アフガニスタンを攻撃する法的な裏付けがないからです。
 英米軍は、国連安保理に諮ることもなく、「自衛のため」を名目にアフガニスタンへの攻撃を開始しました。しかし、「武力行使は国連の安保理が主体となり、安保理の明示の許可を得て行われるのが望ましい」(大沼保昭和東京大学教授、毎日新聞9月24日)、「国連憲章51条は国連安保理が必要な措置をとる間、緊急の場合として自衛権を認めているにすぎない」(吉田康彦大阪経済法科大教授、同)のです。
 国際社会は、第二次世界大戦後、国際連合を発足させ、国際法を取り決めてきました。国際法では、紛争解決手段として、平和的な解決を目指すことを義務づけています。英米軍の攻撃は、その国際的な取り決めに違反しています。
 このように、法的な裏付けのない攻撃は、法治国家のなすべき行為ではありません。法に基づいて判断し、行動するのが法治国家の義務であり、民主主義の根元だと思います。「無法者に法はいらない」というのは、法(ルール)のもとに結束する民主主義社会にそぐわない行為です。それは、「目には目を」のハムラビ法典の時代、あるいは敵討ちが認められていた日本の江戸時代の考えまで逆行します。近代の刑罰の考え方をかなぐり捨てる行為です。
 そしてまた、戦闘行為は、新たな憎しみと次なる報復行為を生み出します。ことに無関係の市民を巻き込む今回のアフガン攻撃のような行為は、タリバン政権に批判的だったイスラム信者からも支持されないことでしょう。のみならず、反米感情がますます高まるおそれも強いでしょう。
 日本の自衛隊の派遣についても、「自国を守るためのやむを得ない戦闘行為」ではありませんから、明らかに集団的自衛権の行使です。これまでの政府見解(日本国は権利として集団的自衛権はもっているが、憲法によりその権利を行使できない)から逸脱しています。いかにテロの衝撃が大きくても、憲法を空文化するような動きは容認できません。どうしてもというならば、しかるべき手続きによって、まず憲法改正をすべきです。
 ただ、では今回のテロの首謀者をどう処遇するつもりか、と問われると、正直言って明快な意見は持ち合わせていません。仮に次のテロが企図されている証拠があるとしたら、「それでも攻撃はダメだ」と言い切れるかどうか、自信はありません。
 とはいえ、まず必要なのは「テロもテロリストも許さない」という国際世論の形成であり、テロの資金源の根絶、テロ支持者の分断など、武力行使以外のあらゆる手段を模索することです。加えて、テロリストがなぜテロを企てるのか、その根本的な原因を解明し、解決していくことです。
 こうした様々な手段をとった上で、なおかつ危険性があり、その危険性を国連が認めるのであれば、戦闘行為による解決もやむを得ないかもしれない、と考えています。
(2001年10月・76号「〈小特集〉米国テロとアフガン攻撃を考える」から)

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