部数の勘定は慎重に
有償配付も考えて
書店売りは考えない
「上手な文章を書こう」と思ってはいけない
体裁よりも中身で勝負
部数の勘定は慎重に
印刷所などに依頼して本をつくる場合、これだけは注意していただきたいのが、印刷部数です。
 まず必要だと思う部数を決めたら、その2倍、少なくとも5割増しの部数をつくってください。「家族にだけ残す」などのハッキリしたな理由がない限り、これは絶対におすすめします。
 仮にどなたかに本を差し上げたとして、その人が内容を気に入ったならば、別の人にも紹介したくなり、「もう何冊かほしい」ということになります。差し上げる予定になかった人も、人づてにあなたが本をつくったことを知れば、「読んでみたい」と言ってきます。後になって、「過日こういう本をつくりまして……」と、新しく知り合った人に自己紹介をかねて差し上げることもあるでしょう。そうして、当初の見込みより多くの本がなくなるのです。

 実際にあった例をご紹介します。
 「知り合いはそんなにいないから、100部もあれば充分です」といわれ、説得しても意思が変わらなかったので、100部つくって納めました。それから半年後、「あと50部増し刷りしたら、いくらかかるでしょうか」とその方から連絡がありました。もう本がなくなってしまったそうですが、こちらとしては「前回つくったのと同じくらいかかります」としか答えようがありませんでした。(2回目は、版下代の分は安くなりますが、印刷・製本代は安くならないのです)
 別の方は、「200部でいい」というところを、説得して300部つくったら、「200部はすぐになくなっちゃったよ。300部にして本当によかった」と、後日お礼の電話をいただきました。
 ちなみに言えば、部数を5割増しとか2倍にしても、代金は5割増しとか2倍にはなりません。用紙代と製本代が増える程度で、印刷機で刷る料金はそれほど変わらないからです。2例目の方の本は300ページの簡易製本でしたが、200部と300部で見積もりしたときは、その差は4万円ほどでした。
 もちろん、予算の都合でこの4万円の捻出が難しい場合もあるでしょう。そのときは、用紙を変更したり、製本を工夫してでも、部数増に反映させたほうがいいと私は考えます。
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有償配付も考えて
つくった本は「お世話になった方に差し上げる」のが一般的のようです。「謹呈」というかたちで無償でさしあげるわけです。
 それがいけないとは言いません。ただ、少額であっても代金を受け取ることを考えてもいいのではないかと、私は思います。

 理由の一つとしては、本をもらう側にしてみれば、タダで手に入れた本は読まなくても惜しくないですが、少額でもお金を払って手にした本は、「元を取ろう」と思ってページをめくるものです。せっかくつくる本ですから、そのまま本棚に直行するよりも、手垢をつけてもらったほうが本も喜ぶでしょう。
 もう一つの理由は、予算に余裕ができます。例として、50万円で200部つくるとすると、一部あたりの制作費は2500円です。もし200部すべてを2500円で売ったとすると、自費出版をするための費用はゼロ円です。500円ずついただいたとしても、40万円で済みます。逆にいえば、全部の本を500円で売るつもりがあれば、40万円の予算で50万円の本をつくることができるわけです。

 そんなに都合のいい話は実際にはないでしょう。それに、手前勝手に本をつくっておいてお金をもらうなんておこがましい、というのも正直な心情でしょう。
 とはいえ、本をつくったあとでも郵送代とかお礼状のようなものでけっこう出費がかさむものです。カンパのつもりで少額の負担をお願いするのは理不尽な要求ではないと私は考えますが、いかがでしょう。
 肝心なのは、代金を高額にしすぎないことと、「いただけたらありがたい」くらいの謙虚さです。あなたのお知り合いが本を出したとして、「この金額ならご祝儀として出してもいいか」と思う範囲で抑えておけばよいのではないでしょうか。
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書店売りは考えない
自分が書いた文章を本にして書店に並べたい。……もしそんな考えをお持ちでしたら、今すぐに思い直してください。
 考えてもみてください。今は著名人の本でも売れない時代です。あなたが本屋さんに行ったとして、書棚に1冊だけ立っている無名な著者の本を手に取ってレジに持っていくということが、どのくらいの頻度であるでしょうか。たぶん、ほとんどないでしょう。
 書店のほうでも、売れると限らない無名の著者の本の扱いは軽いものです。売れ残れば短期間ですぐに返本です。
 仮に書店売りされたとしても、こうなってしまうのは目に見えます。

 大手や中堅の出版社が、新聞広告などで「あなたの本が書店に並びます」と宣伝しています。では、なぜこういう宣伝をするのでしょうか。
 以前の勤め先で実際にあったケースを挙げてみます。

 あるご婦人が書かれた自分史を出版する話を進めていました。しかし、ご婦人のお知り合いにある程度名の知れた印刷所に勤める人がいて、最終的にそちらで出版することになりました。
 その結果、こちらで見積もりしていた額の何倍もの費用をかけて、ハードカバーの上等な本ができました。プロが文章を書き直したらしく、たしかに読みやすくはなりましたが、ご婦人のお人柄がにじみ出る素朴さ、素直さは失われました。
 また、出版契約に「著者の買い取り分」があったそうで、何百冊かは著者負担で買い取りです。加えて、書店で売れ残り返本された本は、ご婦人が引き取ることになったと記憶しています(有償か無償かまでは覚えていません)。
 「大金をかけて、大量の本がうちに残ってしまった」と、ご婦人は後悔なさっていましたが、あとの祭りでした。

 すべてがそうとは言いませんが、大手や中堅が自費出版を宣伝するのは、著者負担分が確実に売上になるからです。
 出版社が企画してつくった本だと、著者への印税も、編集費・印刷費なども、すべて自社の負担です。売れなければソンをするばかりでなく、倉庫もいっぱいになってしまいます。
 でも自費出版ならば、著者の負担分は収入になるし、在庫も著者に“押しつける”ことができます。それでも出版実績は残るから、「これまでこんなにつくりました」と宣伝できます。じつに割のいい仕事なのです。
 くれぐれも、新聞広告につられて欲を持たれませんよう、ご注意ください。
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「上手な文章を書こう」と思ってはいけない
[なぜつくるの?自分史]の項でも触れていますが、アマチュアが書く文章は、プロの作家が書く文章とは目的が異なります。はっきりいって「美文を書こう」と考えるのは失敗のもとです。
 私はミニコミ投稿誌の発行に長年関わっており、プロでない人の文章を読み続けています。その経験に照らしても断言できます。
 アマチュアの文章には、読んでいてもどかししさを感じたり、表現に工夫がほしいと思う部分が確かにあります。でもそれは文章技術に関することです。文章の上手下手と、書き手の考えや心情が読者に伝わるかどうかは別問題です。下手でも読者の心の内に迫ってくる文章はあるし、逆にすらすら読めるけど心に何も残らない文章もあります。
 よくある傾向としては、書き慣れてきて文章に自信がついたあたりのアマチュアが、いちばん面白くない文章を書きます。「上手に書こう」という下心から、へんに技巧を凝らそうとして、内容をふくらませ過ぎたり、技巧が鼻について嫌みになるからです。
 そういう下心はいっさい捨てて、たとえ下手でも、不器用であっても、正直に、素直に、ていねいに綴ることが肝心です。
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体裁よりも中身で勝負
 「せっかくつくるのだからハードカバーの本でなければ」と気張るのは、あまり意味がありません。
 「見た目は立派だけど、中身がお粗末」といっては失礼ですが、背伸びをして上等なつくりにしても、内容が伴わなければ見た目倒れ。本棚の飾りになるのがいいところです。それよりは、質素であっても、ご自身の人柄を現した本をつくる、内容を充実させるほうに力を注ぐほうが、手にした方の心の中にあとあとまで印象深く残るのではないでしょうか。

 老婦人が「自分で用意できる予算の範囲で本をつくりたい」とおっしゃいました。行方不明になった飼い犬が戻ってくるまでの顛末をまとめた内容で、B6判(128ミリ×182ミリ)で32ページ、表紙は厚紙、白黒印刷で100部。これを10万円程度の費用でつくりました。
 仕上がった本は、見た目は簡素です。本棚に立てれば、本と本の間に埋もれてしまいそうです。でも、起こった出来事や感じたことが素直に綴られていて、とても心温まる文章です。それがコンパクトな本となり、まるで読み切りの短編小説みたいな仕上がりとなりました。私にとって印象深い仕事の一つです。

 「厚みがないと本にならない」「予算をかけて立派な本をつくらなければ」という思いこみを捨てて、手にした方にぬくもりを与える本づくりを、是非ともお考えください。そのための工夫の手段は、いくらでもあります。
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